歯を抜いた話
ただ生きていくだけで、何かが失われてゆく実感がある。
歯を抜いた。
親知らずがかなり歯肉を圧迫していて、日常生活に支障をきたすほどの激痛に悩まされていたので、思い切って歯医者に行ったところ、伊東四朗みたいな顔をした歯医者は口の中をささっと見た後呟くように提案する。「抜きましょう」
いきなり、抜きましょうと言われて、はい分かりましたと答えるほど腹も座っておらず、少しばかり抵抗をしたものの、痛みからの解放という誘惑と、伊東四朗の歯科学的見地トークに敗れ、結局抜くことになった。
そこから先は早い。小型の掃除機みたいなものと、レンチみたいな器具でゴリゴリされて、親知らずは抜かれた。抜いた後に見せられた親知らずは地獄的な色をしたカルシウムであり、かつて自分の一部だったと想像もできないただのモノだった。そして、抜いた歯を患者に見せるサービス精神はいらないとも思った。叔父が焼けた時、火葬場で喉仏の焼け残った骨を見せられて、なんとも厭な気分になったものだが、自分の骨を見るのはもっと厭なものだな。
歯が抜けると両側の歯のバランスが崩れ、噛み合わせに影響すると脅され、その後、抜けた歯にインプラントをするかしないかの流れになりかけたが、ひとまず断って帰路についた。
親知らずは痛かったし、それを抜くことは当然のことだと今も思っているに関わらず、なんだかとても虚しく、取り返しのつかないことをしたような気がして、やれない。
代替不可能性という言葉がぐるぐると頭の中を巡っている。
インプラントで新しい歯を手に入れて、それでこの欠如が埋まるのか。自分に疑問を抱いてしまっているし、そもそも歯を抜く選択が本当に自分で選んだ事なのかすら分からない。
とっくに紅葉は終わり、茶に染まった葉っぱを踏みしめるたび足元がぎゅっと鳴る。
ぼくは立ち止まって、枯れ葉を一掴み拾い、風にのせて投げた。